元お笑いコンビ「尼神インター」の誠子さんが、来年春に東京を離れ、京都へ移住するとインスタグラムで報告しました。
フリーの芸人として活動を続ける誠子さんが、なぜ今、長年憧れていたという京都での新生活を決意したのか、その真相と、ネット上でのさまざまの反応をまとめてみました。
「いつか」を「今」に!誠子さんが決断した京都移住
誠子さん(36歳)は、自身のインスタグラムを通じて、来春に東京を離れ京都へ移住するものの、芸人活動は今まで通り継続することを発表しました。
20代の頃から京都に住みたいという思いをぼんやり抱いていたそうですが、ふと「いつかっていつなんだろう?」「『いつかやろう』はもうやめよう」と決意したといいます。人生は一度きりであり、新しい始まりにぴったりの春に引っ越すことを決めたそうです。
フリーになってからは「自分の幸せを見つけた」と語り、場所に関係なく「ライブがしたい」という目標を掲げています。
以前にはこんなことがありました
誠子さんは、2024年3月末に元相方の渚さんとお笑いコンビ「尼神インター」を解散し、吉本興業を退所してフリー芸人になりました。
解散について、ネット上では誠子さんが約20kgの減量に成功し美意識が高まったため、「美容のせいで、お笑いへの熱が冷めたから解散したのでは?」という憶測が流れていました。しかし、誠子さんはこの噂を「本当じゃない」と明確に否定しています。
YouTubeの取材で誠子さんは、解散は渚さんから切り出されたものだったと明かしています。解散の理由は、お互いが「やりたいこと」や「表現したいこと」を最大限に追求するためであり、円満な選択だったと説明しています。コンビ時代は誠子さんがネタを書いて決めることが多かったのですが、それぞれが個人の表現を追求するためには、ピンで活動するほうが良いという結論に至ったようです。
フリー転身後、誠子さんは料理やラジオ出演など幅広い活動を行う一方で、元芸人の後輩が営む居酒屋で「一日店長とお笑いトークライブ」という一風変わった自主ライブを企画しました。ホールスタッフとしてお客さんと近い距離で接客しながら、笑いをとるというユニークなスタイルです。
また、誠子さんは、自身の目標として「芸人界のスピッツ」になりたいと語っています。これは、ロックバンドであるスピッツが、大衆に届く柔らかい曲(丸み)と、バンドとしての尖った曲(尖り)の両方を持つように、自分も両方の魅力を持つ芸人になりたいという思いから来ているそうです。さらに、いつかライブで元相方の渚さんとコラボ漫才をしたいという夢も持っています。
ネットの声・・・勇気ある挑戦と厳しい現実論が交錯
誠子さんの京都移住のニュースに対し、インターネット上ではさまざまな意見が寄せられています。
ネット上では、誠子さんの「いつかやろう」を”今実行する”ことにした決断に対し、「一人の人間が模索しながら生きる姿は頼もしい」と、環境を変える勇気を評価する声がありました。
しかし、厳しい意見も多く見られます。一部のYahooコメントや5ちゃんねるでは、美容に力を入れ始めた誠子さんに対して、「芸から逃げた」「コンビ時代が華だったのに迷走している」といった批判があります。
また、元相方・渚さんが大阪残留を望んでいた経緯を踏まえ、「損切り」ではないかという現実的な見方もあり、移住をポジティブな挑戦と捉える意見と、ネガティブなキャリアの転換と見る意見の間で、意見の相違が見られました。
特に誠子さんが美しさを追求した結果、芸人としての個性を失ったのではないかという点で、厳しい見方が共通しています。
一方で、京都移住という具体的な行動については、人生の目標を達成するためのポジティブな一歩として捉える人と、東京での活動がうまくいかなかったことの裏返しとして見る人とに、意見が分かれています。
自分の幸せを追いかける勇気が大事
誠子さんが語った「いつかやろう、はもうやめよう」という言葉は、心に響くメッセージだと感じました。進路や将来の夢を考えるとき、「いつか頑張る」「そのうち行動する」と考えてしまいがちです。
誠子さんは、世間からさまざまな憶測や批判があったとしても、「自分の幸せは自分しか知らない」という強い信念を持って、長年の夢だった京都移住と、ライブ活動の継続を決めたのです。目標に向かって、環境を変えることを恐れずに一歩踏み出す誠子さんの姿勢は、将来に向けて挑戦する勇気をくれるように感じました。
今回は、元尼神インター誠子さんの京都移住に関する報道と、それに対するネット上の声をまとめました。皆さんはどのように感じましたか。よかったらコメントをお願いします。





















